パリの連続テロ事件から3週間
今日12月4日(金)で、パリ連続テロ事件のあった11月13日(金)から3週間が経ちました。一つの節目として、この間に私達が感じたこと、そして今思うことを書きたいと思います。
我家は11区にあり、各現場から歩いて15分位の所に位置していたため、事件の有った夜は救急車のサイレンの音が早朝まで静まり返った街に響いていました。私達は幸いその当日は日中ずっと外出していて疲れ、夜は家に居ました。22時半頃に友人からの安否確認電話があり、この事件を初めて知り、後は朝4時位までずっとニュースを聞いていました。
翌日14日(土)にフランスや日本、アメリカの友人達から沢山の安否確認のメール・電話を頂きました。日本のニュースでは「外出禁令」「国境封鎖」等と報道されていた様ですが、近所の商店やスーパーは通常に開いていました。EC加盟国間の移動にはパスポート検査は通常ありませんが、テロ後は検問を所々でしているようです。また確かに美術館・デパート・映画館は週末は「喪に服す」ということで閉まっていました。これが日本のニュースでは「外出禁令」「国境封鎖」になったようです。
そして翌週にはサンドニの街中のテロリストが滞在していたアパルトマンをフランス警察・軍が襲撃し、その後、ヨーロッパにあるテロリストのメインアジトがベルギーに有るらしいことが分かり、今もベルギー政府はテロリストの大規模な捜索をしています。
パリの連続テロでは、Bataclan(バタクラン)のロックのコンサート中にテロリストが侵入し、89人という多くの犠牲者を出し、10区と11区のカフェやレストラン(主にテラスにいた犠牲者が多かった様です)で次々とテロリストがカラシニコフ銃を乱射し、この連続テロで130人近い方々の尊い命を失いました。今回のテロはパリの街中で起こり、一般人がテロの的となりました。。。忘れることの出来ない悲しい事件です。
テロ事件から2週間後の11月20日に私は幾つかのテロの現場とフランス共和国の象徴のレパブリック広場を巡礼の様に訪れ、キャンドルを灯し、写真を撮って来ました。
世界中にこのニュースは速報され、世界中の人達に恐怖を与えました。テロリストTerroristはその語源そのままに人々に恐怖感Terrorを抱かせ、隷属させる人達です。恐怖感を世界中に与えたこの時点で、残念ながら彼らの企てを成功させてしてしまいました。
でも今、多くのパリっ子達はテロに隷属しない、テロに立ち向かうと言っています。これはどういうことかというと、一般人がテロに怯えず通常の生活・外出をすることです。決して銃を取って立ち向かうことではありません。フランスでは日本と同様に一般人の銃所持は禁止されています。安心して下さい。彼等はテロを怖がって今迄の生活スタイルを変えることは屈服したことになると言いたいのです。パリに長年住んだ私はこの気持ちが良く分かります。
今回の被害者達は人が集まるところに行ったからテロに遭ったのではありません。普通の生活をしている時に非常に運悪くテロの襲撃の被害に遭ったのです。これは事故に似ていませんか? 日本には地震・津波・台風等の被害に遭って命を奪われる不幸な事故が沢山あります。勿論天災とテロを一緒にするつもりはありませんが、人が集まるところに行ったのだから自己責任とか、テロ事件に遭いたくなければ出来るだけ外出を控えて。。というような偏った見方や論調を聞くと、私は非常に悲しくなります。
連続テロ事件後3週間を迎えた今日12月4日に、テロ事件の被害に遭い、テラスにいた客の5人の命が奪われた「A la Bière」というカフェが再オープンしました! オープンの朝から人が詰めかけ、テラス席も沢山の人で満席でした。TVのインタービューに答えた若い女性は「ここで犠牲となった方々のことを追悼し、忘れない為に来た」と言っていました。
この写真を見て下さい。例年通り今年もシャンセリゼ大通りはクリスマスのイルミネーションで飾られています。私達は例年通りクリスマスを祝い、新年を迎えるパーティーをします。パリがいつも「パリ」であり続けるのは、この老若男女のパリっ子達がいるからなのです。
かなり久し振りのブログの更新となりました。これからまた少しづつ書いていきたいと思いますので。時間のある時にまた時々覘いて下さい。
我家は11区にあり、各現場から歩いて15分位の所に位置していたため、事件の有った夜は救急車のサイレンの音が早朝まで静まり返った街に響いていました。私達は幸いその当日は日中ずっと外出していて疲れ、夜は家に居ました。22時半頃に友人からの安否確認電話があり、この事件を初めて知り、後は朝4時位までずっとニュースを聞いていました。
翌日14日(土)にフランスや日本、アメリカの友人達から沢山の安否確認のメール・電話を頂きました。日本のニュースでは「外出禁令」「国境封鎖」等と報道されていた様ですが、近所の商店やスーパーは通常に開いていました。EC加盟国間の移動にはパスポート検査は通常ありませんが、テロ後は検問を所々でしているようです。また確かに美術館・デパート・映画館は週末は「喪に服す」ということで閉まっていました。これが日本のニュースでは「外出禁令」「国境封鎖」になったようです。
そして翌週にはサンドニの街中のテロリストが滞在していたアパルトマンをフランス警察・軍が襲撃し、その後、ヨーロッパにあるテロリストのメインアジトがベルギーに有るらしいことが分かり、今もベルギー政府はテロリストの大規模な捜索をしています。
パリの連続テロでは、Bataclan(バタクラン)のロックのコンサート中にテロリストが侵入し、89人という多くの犠牲者を出し、10区と11区のカフェやレストラン(主にテラスにいた犠牲者が多かった様です)で次々とテロリストがカラシニコフ銃を乱射し、この連続テロで130人近い方々の尊い命を失いました。今回のテロはパリの街中で起こり、一般人がテロの的となりました。。。忘れることの出来ない悲しい事件です。
テロ事件から2週間後の11月20日に私は幾つかのテロの現場とフランス共和国の象徴のレパブリック広場を巡礼の様に訪れ、キャンドルを灯し、写真を撮って来ました。
世界中にこのニュースは速報され、世界中の人達に恐怖を与えました。テロリストTerroristはその語源そのままに人々に恐怖感Terrorを抱かせ、隷属させる人達です。恐怖感を世界中に与えたこの時点で、残念ながら彼らの企てを成功させてしてしまいました。
でも今、多くのパリっ子達はテロに隷属しない、テロに立ち向かうと言っています。これはどういうことかというと、一般人がテロに怯えず通常の生活・外出をすることです。決して銃を取って立ち向かうことではありません。フランスでは日本と同様に一般人の銃所持は禁止されています。安心して下さい。彼等はテロを怖がって今迄の生活スタイルを変えることは屈服したことになると言いたいのです。パリに長年住んだ私はこの気持ちが良く分かります。
今回の被害者達は人が集まるところに行ったからテロに遭ったのではありません。普通の生活をしている時に非常に運悪くテロの襲撃の被害に遭ったのです。これは事故に似ていませんか? 日本には地震・津波・台風等の被害に遭って命を奪われる不幸な事故が沢山あります。勿論天災とテロを一緒にするつもりはありませんが、人が集まるところに行ったのだから自己責任とか、テロ事件に遭いたくなければ出来るだけ外出を控えて。。というような偏った見方や論調を聞くと、私は非常に悲しくなります。
連続テロ事件後3週間を迎えた今日12月4日に、テロ事件の被害に遭い、テラスにいた客の5人の命が奪われた「A la Bière」というカフェが再オープンしました! オープンの朝から人が詰めかけ、テラス席も沢山の人で満席でした。TVのインタービューに答えた若い女性は「ここで犠牲となった方々のことを追悼し、忘れない為に来た」と言っていました。
この写真を見て下さい。例年通り今年もシャンセリゼ大通りはクリスマスのイルミネーションで飾られています。私達は例年通りクリスマスを祝い、新年を迎えるパーティーをします。パリがいつも「パリ」であり続けるのは、この老若男女のパリっ子達がいるからなのです。
かなり久し振りのブログの更新となりました。これからまた少しづつ書いていきたいと思いますので。時間のある時にまた時々覘いて下さい。
by fugas
| 2015-12-05 09:25